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2007-07-28 Sat 01:17
その日の黄金町は閑散としていた。
正確に言うと、お客は外をたくさん歩いていたし、女性たちもたくさんいたのだが、部屋の電気を消して、カーテンを閉めるか、カーテンの隙間から外をチラチラ見るだけで、あまり積極的にお客を取ってはいなかった。 ちょっと異常な雰囲気を感じ取った私は、急いでメーオのお店に行った・・・ メーオのお店は、カーテンを閉めていたので、お店の前からメーオに電話をすると、すぐにメーオが電話に出た。 「今どこにいるの?」とメーオが訪ねてくるので、「お店の前にいるよ。」と答えると、すぐにカーテンを開き、私を中に入れてくれた・・・ 今日の異常な状態をメーオに尋ねると、どうも警察が取締をしているらしいとのことだった。 私は、売春の取り締まりをしているのだと思ったので、その行為さえ行ってなければ問題ないと思い、「メーオと部屋でゆっくりしていればいいや。」と思っていたのだが、メーオはひどく怯えていた。 「なぜそんなに怯えているの?」と聞くと、「私、警察に捕まったら、タイに返されるから・・・」という答えが返ってきた・・・ その時私は、初めて彼女がオーバーステイだということを理解した。 というか、黄金町で働いている女性たちのほとんどが、不法入国、もしくはオーバーステイだということを、その時初めて知った。 それはつまり、彼女は日本にいる限り、隠れて生活していかなければいけないということを意味していた・・・ メーオは、観光ビザで日本に入国し、そしてそのまま不法滞在し続けていたのだった。 500万の借金を背負ってまで手に入れたビザなのに、それは、最も簡単に取得可能な観光ビザだったのだ。 金額からして、もっとまともなビザを取得していると思っていた。 たとえば、誰かと偽装結婚して、配偶者ビザぐらいは取得しているものだと思っていた・・・ 私は、何ともやりきれない気持ちになった。 メーオは、「そんな顔しないで。」と言って、私の顔を覗き込んできた。 私は、メーオを抱きしめた。 とにかく抱きしめることしかできなかった。 色々と思う事はあったが、結局のところ、私だって、メーオをお金で買っている、ろくでなしなのだから・・・ それからどのくらい時間がたったのだろうか? 警察がいなくなるまでお店の中で隠れていたのだが、突然ドアがノックされた。 私達は、お店の中で息を殺して隠れていたが、ドアを叩いたのはあのママさんだとわかった。 ママさんは、自分が管理している娘たちのお店を回り、無事に黄金町の外に連れ出していた。 私は彼女をママさんに預け、私も足早に黄金町を後にした・・・ メーオと親しくなった私は、メーオをいろんな所に連れて行ってあげようと思っていたのだが、あまり軽々しくメーオを外に連れて行ってはいけないと、改めて認識した日だった・・・ |
2007-07-25 Wed 02:56
ママさんが怒って以来、私とメーオはあまり長い時間、一緒にいることが出来なくなってしまった。
そして、夜の門限の為に、2人でデートする時間もあまりなくなってしまった。 もちろん、お客としてお店に行くことは出来るのだが、あまり長居すると、他のタイ人の女の子が、ママさんに告げ口する仕組みになっているようだった。 私は、「なぜ、そこまでママさんに絶対服従しなければならないのか?」不思議だったので、そのことをメーオに聞いた。 そして初めて管理売春の仕組みを知った・・・ タイ人が日本に来るためにはビザを取得しなければならない。 しかし、このビザをなかなか日本大使館は出してくれない、そこでタイ女性は、タイのある闇エージェントを通して、ビザを取得してもらい、日本への渡航チケットを買うことになる。 これらのチケットや、いろんな手数料を含めて、日本円で250万円だそうだ。 しかし、このお金を彼女達が払えるわけも無いので、彼女達はお金を借りることになる。 そのお金を借りているのがママさんなのである。 なので、彼女達は、ママさんに絶対服従をしなければならないのだ・・・ しかし彼女達がママさんに返すお金は、250万円ではなく500万円。 なんと、250万円もの利子を払わないといけないのだ。 中には、これらの借金を直ぐに完済する女の子もいるようだが、ほとんどは1年ぐらいは、借金を返すためだけに、一日何人もの男性の相手をしなければならない。 しかも借金を持っている間は、ママさんにパスポートを取り上げられ、厳しい管理化の下、病気だろうが、生理の日だろうが働かされる。 ただし、ママさんによっては、生理休暇をくれたり、生理初日は休ませてくれたりしていたようが、メーオのママさんは、生理休暇を与えないタイプだった・・・ また、借金には、1ヶ月に返すノルマが決まっていて、そのノルマが払えない場合は、ペナルティーとして、10万ずつ借金が増えていく仕組みになっていた。 そしてもう一つ、彼女達のお店のレンタル料は、別に大家に払わなければならず、時間帯や場所によっても変わるらしいが、1日、1~3万円を支払わなければならなかった・・・ さらにもう一つ、彼女達の仕事は、かなり危険な目に合うことも多い、その為、黄金町のヤクザが彼女達を守ってくれている代わりに、セキュリティー費もはらっていた。 正確な金額は分からないのだが、2週間単位ぐらいで、ヤクザの下っ端がそれぞれのお店に集金に来て、14万ぐらい持っていっていたと思う。 しかし、メーオは、「ヤクザは、お金を集金に来るだけで、いざとなったら何もしてくれない。」と、よく愚痴っていた。 タイでは「ヤクザ」といえば、悪い事は何でもござれの、恐ろしいジャパニーズマフィアだと認識されていたのに、黄金町ヤクザのあまりのチンケさに、メーオは落胆したようだった・・・ これらの必要経費を払い、ママさんに借金を払い続けるということは、黄金町で働いていた女性たちが、「一日に何人の男性を相手にしなければいけないか?」ということを、想像するのは難しくはないだろう・・・ 彼女達が利益を得る為には、ママさんに借金を返し終わってからになるのだが、それまでの間に、借金のプレッシャーに耐えられず、麻薬に手を出し、麻薬の借金まで作り、利益を得るどころか、毎日借金だけを払うために、体を売る女性も、黄金町には少なくなかったようである。 メーオは比較的お客が付いていたほうではあったが、借金完済までには、まだまだ時間が掛かりそうだった・・・ |
2007-07-24 Tue 02:53
年も明け、メーオと私は、メーオのお店で過ごす時間が、だんだん長くなってきた。
通常、黄金町のお店は、一回の遊びで20~30分 が平均なのだが、私が予約する時間が、営業時間の最後のほうということもあって、1時間から1時間30分ぐらいは、メーオと一緒にいることが多くなった・・・ そんな状態がしばらく続いたある日、突然、女性のダミ声が、お店の外から聞こえてきた。 「&)&)!#&$15’&’(”%’」 タイ語のようで私には全く分からなかったのだが、その声に、メーオは慌てて、「早く服を着て!」と言った。 そして、その女性に対してメーオもタイ語で何か答えていた。 私は、メーオが慌てている様子を察して、早く服を着て、お店の外に出た・・・ お店の入り口には、体格の良いタイ人のおばさんが立っていた。 そして、私を睨み付けて、メーオのお店に入っていった。 心配になった私は、お店の中を覗いたのだが、メーオが手で、「早く帰って!」の合図を送っていたので、その場を後にした。 そして、とりあえず、メーオにメールを出して、その時借りていたマンスリーマンションに帰った・・・ すると、それから2時間ぐらいたってメーオから電話がかかってきた。 私は、「何があったの?」と尋ねた。 メーオが言うには、「一人の客に長い時間かけないで、もっと客を取れ!」と、ママさんから叱られたそうだ・・・ その事件以来、私はママさんのブラックリストに載ってしまい、メーオはママさんから、「あまり私と親しくするな!」と、注意されたらしい。 また、ペナルティーとして、メーオは、仕事以外で、夜8時以降の外出は禁止させられてしまった・・・ |
2007-07-22 Sun 12:13
妻と離婚の話を始めたことで、結果的に、年末年始のスケジュールがフリーになった私は、メーオに電話をし、メーオが望んでいた、初詣に行く約束をした。
あんなにメーオと行くのを楽しみにしていたの、妻との事があって、素直に喜べない自分がいた。 本当に、人間とは、自分勝手なものである・・・ しかし、その事を知らないメーオは、屈託のない笑顔で、私と初詣に行けることを、喜んでくれた。 そのメーオを見て、ほんの少しだけど、自分の中にあった罪悪感が消えたような気がした・・・ そして、年末はすぐやってきた。 私とメーオは、あのタイマッサージ屋で、オーナー夫婦とタイ料理に舌鼓を打ち、一緒に過ごす年末を楽しんだ。 そして、年越し蕎麦を食べた後、私とメーオは、メインイベントである、川崎大社への初もうでに行った・・・ メーオは、日本の初詣の人の多さに、ただただビックリしたようだった。 タイもお参りはするようなのだが、ここまで群衆が列挙して押しかけることなど無いらしく、最初は初詣に対してなみなみならぬ期待を持っていたようなのだが、その期待が、みるみるトーンダウンしていくのが目に見えた。 私は、なんというか、そういう、熱しやすく冷めやすいタイ人気質を見るのが大好きだった・・・ そして、やっとのことで境内に辿りつき、ほんの少しだけ与えられた時間の中で、メーオは一生懸命お祈りをしていた。 初詣の帰り道、メーオが、「カスは、何を神様にお願いしたの?」と聞いてきた。 私は、「メーオこそなんてお願いしたの?」と、質問に対して質問で答えた。 するとメーオは、「お仕事がうまくいくように!と、お願いしたの。」と、満面の笑みで答えた。 私は、「仕事がうまくいくという事は、これからもたくさんの男と寝るという事だろう!」と、心の中で吐き捨てるように言った。 でも、その感情をなるべく表に見せないように努力したが、割り切れない思いが強くなり、ちょっとだまってしまった・・・ しかしメーオは、私の気持ちなどお構いなしに、「ねえ、カスの願いは?」としつこく聞いてきた。 なので、私も、「仕事がうまくいくように。と、お願いしたよ。」と答えると、メーオは、「そうだよね、そして、たくさん稼いで、私にいろんな楽しい事を教えてね!」と言った。 私は、メーオに微笑んで、メーオの腰を引きよせ、人眼もはばからずキスをした。 そして心の中で、「本当の願いは、君が早く仕事をやめて、ずーっと一緒にいられますように。というお願いだよ。」と囁いた・・・ |
2007-07-21 Sat 10:43
それは、妻と晩御飯の買い物に行った時のことだった。
私は、「どうやって別れ話を切り出そうか?」と、色々と考えていた。 もちろん、そんな事を前面に出してはいなかったと思うが、妻が突然、こんなことを言ってきた。 「ねえ?私といて楽しい?」 私は、妻に心臓を鷲掴みされたような気分になった。 私が何も答えないでいると、妻はもう一度、「ねえ?私といて楽しい?」と聞いてきた。 私は、「なぜそんな事を聞くの?」と質問に対して質問で答え、妻の真意を図ろうとした。 それに対して妻は、「今の私たちの状況を考えれば、誰でもそういう疑問は湧くんじゃない?」と、至極まっとうな回答を出されて、私はどうこたえていいものか焦りまくってしまった。 とりあえず、スーパーの中で、男と女の痴話喧嘩をするわけにはいかないので、その場は何も答えず、お互い無言のままで、マンションまで帰った・・・ そしてマンションに帰り、妻が、晩御飯の食材を冷蔵庫に入れるためにキッチンに入っていくのを見計らい、私は妻の顔が見えない位置から、こう言った。 「すまん、私と離婚してくれ。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ キッチンからは、物音が一切聞こえなくなった。 そして、どのくらい時間が流れたのだろう? 実際には、そんなに時間は立っていなかったのだと思うのだが、その重くのしかかる時間を切り裂くように、妻の泣き声が聞こえてきた。 今まで喧嘩して、妻が泣いた事は数度あったが、その時の泣き声は、今までの妻の泣き声とは明らかに異なっていた。 とてもとても悲しく、それでいて、私に対する憎しみがヒシヒシと伝わってくる声だった・・・ 私は、その声に恐怖を感じ、その場から逃げだした。 車のキーを握りしめ、妻に一言も声をかけず、その場を逃げだした。 卑怯だとは分かっているが、とにかく私はあの空間から逃げ出したのだ。 駐車場へ走り、車に飛び乗り、とにかく、あのマンションから遠くに行こうとだけ考えた。 多摩川土手の道をひたすら川崎方面に走り、気がつくと、羽田空港の近くまで来ていた。私は空港の近くで車を止め、ぼんやりと空港の明かりを見ていた。 この時に、まっ先にメーオの所に行かなかったのは、やはり妻に対する良心の呵責があったからだろう・・・ その後、しばらくして、妻は私にメールを送ってきた。 メールには、「今後の事をキチンと話し合いたい。」と書いてあった。 至極、まっとうな意見である。 私は、そのメールに、「もちろんきちんと話し合いたい。」 「ただ、私もじっくり考えたいので、話し合いは年明けにしてくれ。」とメールを送った。 それに対して、妻は、「わかりました。今年は私だけで福井に帰ります。」 「車は私が使いますので、駐車場に置いておいてください。」 「年末年始は、私はいませんので、マンションを使ってください。」とメールが返ってきた。 車の事は対応してあげようと思ったが、私は、もう二度と、マンションに戻るつもりはなかった。 自分が無駄にした時間が詰まった、あのマンションだけには・・・ |
2007-07-20 Fri 11:53
メーオから新年の誘いを受けて、猛烈にうれしかった反面、私は、猛烈に困ってもいた。
なぜなら、毎年、年越しから新年にかけては、妻の実家がある福井に行かなければならないからだ。 この行事は、毎年当り前のように行われていたもので、今年だけ行かないとなると、いろんな意味で問題になりそうだった。 私に与えられた時間は、26日から30日までの、たった5日間。 この間で、妻に怪しまれず、そしてメーオをガッカリさせないソリューションを考えなければならなった・・・ その年の年末は、仕事自体はそんなに忙しくなかったので、仕事が終われば、ほぼ毎日、メーオに会いに行った。 そして、遊ばないまでも、晩御飯は二人で食べるようにしていた。 その都度、メーオは、私に、「31日から1日にかけて、絶対に、日本式の神社にお参りに行きたい。」とせがんでいた。 しかし私にとって、31日から1日にかけてのスケジュールで、メーオと過ごすということは、この段階では、到底不可能に思えていた・・・ そして、27日だったと思うが、メーオが、あるタイマッサージ屋に私を連れて行った。 このタイマッサージ屋は、完全に正規のマッサージ屋で、すべて、若いタイ人女性によって運営されていた。 そのタイマッサージ屋で、一番偉いと思われる女性とメーオは、大変親しいようだった。 色々と話を聞くと、その女性も、昔は黄金町で働いていて、お客さんと結婚し、完全に風俗から足を洗い、伊勢佐木町の繁華街に、自分のタイマッサージ屋を開いたそうだ・・・ その女性は、「メーオハ、イマ、タイヘンダカラ、ココロノササエニナッテアゲテネ!」と、訛りはあるが、流暢な日本語で私に語りかけてきた。 そして、「フタリハ、イツ、ケッコンスル?」と尋ねてきた。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 「結婚」 そんなこと、微塵も考えてなかった私は、ひどく狼狽した。 そもそも「離婚」もしてないし、なにより、風俗で働いている外国人女性と結婚するなんて、不可能だと思っていたからだ。 その狼狽した私をみて、メーオはちょっと複雑そうな顔をした。 その時のメーオの顔は、今でもはっきりと、私の瞼に焼き付いている。 人の思考を映像化できる技術が開発されたら、その時のメーオの顔は、私の記憶から鮮明に呼び出され、少しも色あせることなく映像化されると思う・・・ そのタイマッサージ屋で、たわいもない話をしていると、その店のオーナーで、且つ、一番偉いと思われる女性の旦那さんがお店にやってきた。 風俗で働いていたタイ人女性と結婚した男性と言うことで、ヤクザのような人が来るのかと思っていたが、やってきたのは、ビジネススーツに身を包んだ、ごく普通の人だった。 私とその旦那は、挨拶を交わし、お互い妖しくない人物だという事を証明するため、名刺交換をした(笑 その旦那さんは、某有名企業で、それなりの地位にいる方だった。 このような方でも、風俗で働いていたタイ人女性と結婚するという事が、私にとっては、少々驚きだった・・・ その後4人で夕食を食べ、ボーリングに行った。 「ボーリングなんて、何年ぶりのことだろう?」と、ひとりごちたその横で、メーオは、かなり気合が入っていた。 そのタイマッサージ屋のオーナーに聞いたのだが、タイ人は、ボーリングが大好きなんだそうだ(笑 メーオは気合が空回りしてか、あまりスコアが伸びず、ボールを投げるたびに、女の子らしいオーバーアクションを見せ、私たちだけではなく、周りのレーンからも笑いを呼んでいた・・・ それを見ながら、タイマッサージ屋のオーナーは、私に、「メーオちゃんはいい子ですよ」 「黄金町で働いている女の子が、よく、私のお店に来ますが、正直、ろくでもない女の子ばかりです。」 「もちろん、売春をしているという点においては、褒められないのですが、メーオちゃんは、ギャンブルにも手を出さず、薬にも手を出さず、コツコツとお金をためているようですからね。」 「ところで、あなたは、メーオちゃんと結婚するのですか?」 「もしそうなら、いろいろとアドバイスしますよ。」と言った。 私は、タイマッサージ屋のオーナーの説明を聞きながら、はしゃいでるメーオの姿を見入っていた。 そして、ついに決心した。 「妻とは、きれいさっぱり別れよう。」と・・・ |
2007-07-19 Thu 11:56
メーオと知り合って、約4ヵ月が過ぎた。
時は12月になり、世の中はクリスマス一色になっていた。 私は、個人的にはメーオと一緒に過ごしたかったが、自分の妻のケアもしなければならなった為、私の方から積極的にメーオを誘おうとはしなかった。 しかし、意外にも、メーオの方から、私をクリスマスを誘ってきた・・・ 「ねえカス。クリスマスに友達がパーティーをやるんだけど、一緒に行ってくれない?」 「一人で行くのはさみしいから、カスにエスコートしてもらいたいんだけど?」 私は、そのパーティーに行きたくて行きたくてしょうがなった。 しかし、妻とクリスマスの日にデートする約束をしていた私は、「ごめん。クリスマスの日は仕事が入ってるんだ。」と嘘をついてしまった。 すると、メーオは、「日本の会社は、25日も仕事が忙しいのね。」と非常に残念そうな顔をした・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・ 25日? 「そのパーティは、25日の夜なのかい?」と、私が聞き返すと、メーオは、「あたりまえじゃない。クリスマスは、12月25日でしょ?」 「日本は違うの?」と聞き返してきた。 私の感覚だと、クリスマスというと、「イブの24日の夜を重要視するもんだ。」と思っていたのだが、メーオは、本当のクリスマスである、25日を私と一緒に祝いたいようだった。 妻とは、24日の夜、デートをするようにしていたので、25日の夜はフリーだったのだ。 この時ばかりは、「神様は、本当にいるんだ!」と、思った(笑 その場で、小躍りしそうなくらいうれしかった・・・ しかし、私の本当の都合を知らないメーオは、「じゃあ仕方ないわね。その日は、ママさんに頼んで、スナックのバイトでもするわ・・・」と言って、ママさんに電話をかけようとしていた。 私は、その携帯電話を取り上げ、「クリスマスは、メーオの為に仕事を早めに切り上げるから、クリスマスの夜に、働くなんて言わないでくれ。」と、叫んだ。 おそらく、私は、必死の形相でメーオに頼んだのだろう。 「カ・カスがいいのなら、私は構わないけど?」と、メーオは、あっけにとられたような顔をしていた。 とりあえず、私とメーオは、クリスマスを一緒に過ごせるようになったのだった・・・ メーオ達のクリスマスパーティーは、いつものごとく、若葉町のタイレストランでご飯を食べ、カラオケを歌い、そしてディスコになだれ込むというパターンだった。 いつものことながら、メーオ達が行くディスコは、日本のクラブとは、かなりかけ離れたもので、どちらかと言うとトランスっぽかった。 日本のクラブしか行ったことのない私には、正直、あまりなじめないものだった・・・ しかし、私は、トランスのリズムに合わせて踊っている、メーオの姿を見るのが大好きだった。 ライトを浴びながら、一心不乱に踊るメーオは、本当に綺麗だった。 そして私は、その踊っているメーオの後ろから、腰に手をまわして、一緒にリズムに合わせて踊るのが大好きだった。 クリスマスの夜も、私はそうしてメーオと一緒に過ごした。 メーオの躍動を、直に感じる事に、一人満足していると、メーオがこちらを向き直って、私の首に腕をまわし、耳元でこう囁いた。 「今年の New Year はどうする?」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 新年は、毎年、妻の実家の福井に帰るようになっていた。 私は、メーオを抱きしめながら、「さてどうしたものか・・・」と、苦笑いをした・・・ |
2007-07-18 Wed 00:47
私の家庭はどうなったかというと、とりあえず、見た目は何も問題ない状態だった。
家の中では、二人とも仲が良かった。 正確に言えば、お互い中が良いフリをしていたのだと思う・・・ ただ、バリ島事件以来、夜の営みは、トライすることも無くなったばかりか、お互い話題にも出さないようになっていた。 そして、互いの寝室も別々の部屋になってしまった。 これは、ある日、家に戻ると、いつの間にか、妻がベットを自分の部屋に移動していたのだ。 妻は、「互いの起床時間が違うから。」と言ったが、本心はそうじゃなかったのだろうと思う。 本来なら、この段階で、「離婚」するかどうか話をしなければいけなかったと思うが、「離婚」という決定的言葉を、お互い言えないままだった・・・ そしてメーオだが、初めての店外デートをして以来、メーオから電話がかかってくることが多くなった。 最初は、私が家にいるときは、電話に出ないようにしていたのだが、妻と寝室が別々になってからは、家にいるときでもメーオと電話で話すようになってきた。 幸運にも、私の会社には、外国人がたくさんいるので、英語で話していても妻は怪しむ事もないし、それ以前に、妻は全く英語が喋れなかった。 しかし、当り前のことだが、それなりの節度を持ってメーオとの会話を楽しんだ。 おかげで、メーオが甘えてきても、そっけない英語で答えて、メーオをの機嫌を損ねることもよくあった(笑 今思えば、いろんなところで、私の心のベクトルを、妻からメーオに向けさせる事象が整いすぎていた・・・ そして、ある日のこと、いつものようにメーオと遊んだ後、2人で食事に行った時に、「あなたは独身なの?」と、不意にメーオが私に訪ねてきた。 私は、その質問の答えに少々迷ったが、「既婚者」ということは、メーオにはっきりと伝えようと思った。 メーオの事は好きだが、これ以上、深入りはしないという事を、しっかりと伝えようと考えたのだ。 でも、これは、自分自身への警告の意味合いも、多分に含んでいたのだと思う・・・ しかし、私は、自分の口から出た言葉に耳を疑った。 「もちろん独身だよ。」 「そうじゃなきゃ、メーオに会いに来ないよ。」 メーオは、私の言葉に対して、無邪気に喜んで見せた。 私は、顔を引きつらせながら、そのメーオの笑顔を見つめていた。 そのころから、私は、現実世界への決別を、意識し始めていた・・・ |
2007-07-17 Tue 12:44
メーオの携帯の電話番号を聞いてからは、あらかじめ予約を入れておくことで、メーオに必ず会えるようになった。
以前は、アポ無しでメーオのお店に行くと、既にお客が付いており、30分ほど周りをブラブラして戻ると、また別のお客が付いているなんてことがザラにあっただけに、とても嬉しかった・・・ 約束の時間にメーオの店に行き、お店の前で電話をかける。 するとカーテンがサッと開き、ドアが開かれ、メーオが勢いよく抱きついてくる。 他にもそのようなお客さんはいたのだろうが、それでも私は、その待遇に有頂天になっていた・・・ そんな関係が1カ月ほど続いた後、メーオと遊び終えた後、布団の上で横になり、2人で他愛も無い話をしていると、メーオが突然私に、タイ語で何かを語りかけた。 そして、タイ語の言葉を言い終えると、私のホッペにキスしてくれた・・・ 私が、「今、何をしたの?」と聞くと、「私に恋する呪文を唱えたの。」とメーオは言った。 そこで今度は私が日本語で、「君は僕を好きにな~る。」×3 と唱え、メーオの唇にキスをした。 今度はメーオが私に、「何をしたのか?」尋ねてきた。 そこで私が、「貴方が私に恋する呪文を唱えたのさ。」と答えると、メーオは、私の目をじっと見ながら、「もう恋に落ちてるわよ。」と言って私の唇にキスをしてくれた。 もちろん、頭の中では、「お客へのリップサービスだ!」と自分に言い聞かせていたが、心はそうはいかなかった。 もう既に1回していたのに、そこか2回目に突入してしまった・・・ 2回目のSexは、とても激しく、とうとうコンドーム無しでしてしまった。 2ch では、「黄金町の女性は、簡単に生でできる。」みたいな情報が、よく書き込まれていたが、彼女たちだってバカじゃないから、コンドームなしでの Sex なんて、よほどの事がないかぎりしていない。 お店に関する衛生面では、日本人の風俗とは比べ物にならないと思うが、直接的な性器や体液の接触に関して言えば、日本人風俗より、黄金町のほうが徹底していたと思う。 ここでいう「徹底」と言うのは、「徹底して直接接触は避けていた。」ということである。 それなのに、メーオは、私とのコンドーム無しの Sex を受け入れた。 その時、メーオは、どのような気持ちで私を受け入れたのか、今となっては知る由もないが、少なくとも私に関していえば、その時から、本当にメーオの事を愛し始めていたのだと思う・・・ |
2007-07-16 Mon 00:15
電話番号を教えてもらった私に、彼女は、「これから遊びに来るときは、前もって電話してね!」と言った。
つまり、「私は一元さんじゃないから、予約してくれれば、私の好きな時間に遊べる。」と言うことを強調したのだ。 私はその言葉に、少々気分を良くした。 男とは単純な生き物である・・・ 事実、前もって電話しておくと、その時間に必ずメーオはいったんお店を閉めて待っていてくれた。 そしてお店の前で電話をすると、満面の笑みを浮かべながらカーテンを開けてくれるのが、たまらなくうれしかった。 高々、1時間という、メーオとの時間だが、本当に楽しかった。 1時間なんて、私が会社に行く、通勤時間よりも短のだが、そのメーオとの1時間の為に、毎日を生きているようなものだった。 あんなウキウキとした気分は、もう二度と感じることはできないのだろう・・・ ある日、いつものように、メーオの店を後にして、現実の世界である私の家に戻るために、伊勢崎町モールを歩いていたのだが、いきなりメーオから電話がかかった。 電話番号を教えてもらってはいたが、電話の内容は、予約の電話だけだったし、私が一方的にかけるだけだったので、彼女から電話がかかってきたのには、ちょっとびっくりした。 いきなりの電話に驚いた私に対して、メーオはいつもと同じ調子で、「今日は、もう仕事が終わりだから、今からご飯を食べにいかない?」と聞いてきた。 私は、その申し出に、速攻、「OK!」と答え、伊勢崎町モールから、メーオのお店まで、ダッシュで戻っていった・・・ お店では、仕事着ではないメーオが待っていた。 普段着のメーオは、日本人の大学生と変わらない感じに見えた。 お店ではかなり色っぽく見えるのに、こうも変わるものなのかと驚いた。 でも、普段着のメーオも綺麗だった・・・ メーオに、「何を食べたいか?」と聞くと、すぐさま、「カニ!」と答えたので、そのまま、みなとみらいの「チャンドラーズクラブハウス横浜」に行った。 そこでダンジネスクラブを食べながら、メーオの事を色々と聞いた。 まだメーオはプライベートの深い部分までは話さなかったが、さしさわりのない範囲でのメーオの事を教えてくれた。 たったそれだけのことだったが、私はとても満足だった・・・ そして、食事も終わり、メーオを、マンションまで送っていく途中、メーオは、「ミークワムスック」と言って、私の頬にキスしてくれた。 「ミークワムスック」とは、タイ語で「幸せです。」という意味だと分かったときは、「リップサービスさ!」と自分に言い聞かせながらも、天にも昇る気持ちだった・・・ |
2007-07-15 Sun 00:52
前回の件以来、私はメーオに信用してもらうために、メーオのお店に足しげく通った。
とにかく、メーオに会いに行くことで、自分をもっと知ってもらおうと考えたのである。 そして、ある冬の寒い日、とうとうその日はやってきたのである・・・ その日は、雪まじりの雨が降る、とても寒い日だった。 私は、寒さに震えながら、メーオのお店に行った。 すると、メーオには、すでにお客さんが入っていて、お店のカーテンが閉められていた。 そのころでは、メーオのお店の近くの女性達は、私はメーオのお客さんだという認識がされていたようで、「ルミちゃんは、今、お客さん。」と教えてくれた。 ちなみに、ルミちゃんとは、メーオの黄金町での源氏名で、メーオは彼女のニックネームである・・・ そうなると、私は、どこかで時間をつぶすしか方法がない。 なので、黄金町近辺をブラブラとして、30分後にメーオのお店に戻った。 しかし、まだお店は閉まったままだった・・・ 隣のお店の子が、「ルミちゃんは、まだだよ。」と教えてくれたので、また私は、黄金町近辺をブラブラとして、30分後にメーオのお店に戻った。 しかし、まだお店は閉まったままだった。 これを見かねた隣のお店の子が、外から、「ルミちゃん、カスさん何回もきてるよ!」とお店の外から叫んでくれた。 しかし、お店の扉は、開く気配すらなかった・・・ 私は、さらに30分ほど、黄金町近辺をブラブラとして、メーオのお店に戻った。 しかし、あろうことか、まだ、お店は閉まったままだった。 私は、歩きまわるのも疲れたので、雪まじりの雨が降る中、メーオのお店の前で待つことにした。 隣のお店の子が、その姿を見て、「私のお店で待っていていいよ。」と言ってくれたのだが、メーオに変な疑いをかけられても困るので、それはお断りした・・・ そしてどれくらい待ったのだろうか? 時間は、昼の部の終り時間の6時になってきて、周りのお店の女性達も、次々にお店を閉めだした。 他のお店の女の子たちが、私を心配して、色々としゃべりかけて来てくれるのを、他のお客さん達にじろじろ見られ、恥ずかしい思いをしたが、私は辛抱強くメーオを待った。 そして、とうとう、メーオのお店のカーテンが空いた・・・ 中から、スーツ姿のサラリーマンが出てきて、「ルミちゃん、今日は良かったよ~」と言いながら帰って行った。 そのお客さんに、手を振っていたメーオだったが、お客が見えなくなるとすぐ、私の所に駆け寄ってきてくれた。 「ごめんね。大丈夫?」 「早くお店に入って、ストーブであったまって。」 と、私の手を引いて、お店に戻って行った・・・ 外で長時間待っていた私の体は、とても冷たくなっていた。 メーオは、私に、バスタオルをかけて、後ろから抱きついてきた。 多分、私を、温めようとしてくれたのだろう。 そして、抱きつきながら、なんでこんなに時間がかかったのかを説明しだした。 さっきのお客さんは、隣の女の子が、「ルミちゃん、カスさん何回もきてるよ!」と叫んだのを、「早く帰れと!」と、遠まわしに言われているんだと勘違いして、閉店まで延長し続けたらしい。 延長するのもお金がかかるのに、なんとも暇なお客である(笑 そして、最後にメーオは、こう言った。 「なんであらかじめ電話してこないの?」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「いやいや、私はあなたから、電話番号を教えてもらってませんから!」 そう、笑いながら伝えると、メーオは、ひどく驚きながら、メーオの携帯番号を私に教えてくれた。 メーオは、「なんで早く私の携帯番号を聞かないの?」と、ちょっと怒ったようだった。 「あなたたが、教えるのを渋ったんだろ?」と、説明したが、メーオはそれを、私の勘違いだと言いきった。 このような、タイ人女性特有の、自分本位なご都合主義に、その当時はよく振り回されたものだった・・・ とにかく、メーオの携帯番号をもらうまで、紆余曲折いろいろあったが、これで、私はやっと、メーオのお得意様に昇格できたようだった・・・ |
2007-07-14 Sat 00:38
黄金町で働く女性は、お得意様を確保するために、カモの男性(運がよければ気に入った男性) には携帯の電話番号を教える。
しかし、私は、メーオから携帯電話の電話番号をもらってはいなかった。 その時点までは、私はメーオからしてみれば、たまにしか来ない一元さんにしか過ぎなかったからだ・・・ しかし私は、どうしてもメーオの電話番号を知りたくなった。 まずは、お得意様のお客様になろうと考えたのだ。 いつものように彼女と遊び、服を着替え終わった後、思い切って彼女に電話番号を聞いた。 すると、彼女はすごく困ったような顔をした。 その行動は、私を困惑させるのに十分だった。 せっかく、カモになる男性が増えるのに、それを拒否するなんて、「それほど私は、重要ではないお客さんなのか?」とすごい悲しい気持ちになった・・・ メーオにしてみれば、私の事を、「たまにお店に来てくれる分には問題ないが、携帯の番号を教えるほどのお客ではない。」と考えたのだろう。 ともすれば、「今後、ストーカーに発展しかねない。」と、警戒をされていたのかも知れない。 しかし、それは当り前のことである。 何か問題が起こっても、誰も助けてくれない状況に置かれている彼女たちは、そういうセンサーを、必要以上に働かせていたからだ・・・ 私は、何とかその重苦しい雰囲気を打破しようと、「嫌ならいいよ。」と努めて明るくふるまったが、それでも、メーオは、困惑とも警戒とも取れる表情を崩さなかった。 しばらく、無言のまま、お互い洋服を着ていたが、メーオが、やっと重く閉じた口を開けた。 そして、メーオも、この重苦しい雰囲気を打破しようと考えていたのだろう、なんとも奇妙奇天烈な折衷案を口にした。 「私のタイの携帯番号なら教えてあげる・・・」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ なんか、あまりに間抜けな折衷案過ぎて、私はその場で大笑いしてしまった。 私につられて、メーオも大笑いし、その時の嫌な雰囲気からは、うまく脱却することができた。 しかし、結局は、メーオから、日本の携帯番号を教えてもらうことはできなかった。 そこで、この時に私は決心した。 「絶対、メーオのお得意様になってやる!」と・・・ 志はとても低いのだが、とにかく、私はその時、そう決めたのである・・・ |
2007-07-13 Fri 00:28
私は、風俗に関しては、二度と同じ女性と遊ばないという、変なポリシーを持っていた。
そのポリシーは、黄金町でも同じで、一度遊んだ女性とは、話すことはあっても、絶対に遊ぶことはなかった・・・ それゆえに、ある区画では、「私は一回しか遊ばない」という情報が、そこで働く女性達の間で回っていたことがあった。 そのため、初めてあそんだ女性でも、おざなりなサービスで対処されることが、たまにあった。 彼女達も、一元さんではなく、定期的に遊びにいてくれるカモを探しているわけだから、それは仕方のない事だし、私も、彼女達のことを、ただヌク為の公衆便所的にしか見てなかったので、当然と言ば当然のことである・・・ そんな私が、どうしてもメーオにだけは、また会いたくなってしまった。 メーオの Sex は、そんなに情熱的な Sex だったとも思えないのだが、なぜか、会いたくて会いたくてしょうがなくなってしまったのである・・・ 幸か不幸か、メーオがいた場所は、私が今まで足をあまり運んだことがなかった区画だったので、私の事で、変な噂は立っていないようだった。 また、メーオのお店の周りの女性達の中に、過去、私が遊んだ事がある女性もいなかった。 これもまた、私にとってはラッキーだった。 黄金町の女性の中には、一度上がると、自分の客と言う事を、周りの女性に言いふらし、他のお店に行かせないようにする、ずるがしこい女性がいたのだが、その心配も無かった。 そこで私は、一大決心(大したことはないのだが)をし、メーオを再び訪ねた・・・ 初めてメーオと遊んでから、約1週間がたっていたので、私の事をメーオが覚えているか心配だったが、他の黄金町の女性同様、メーオは、私の言を覚えてくれていた。 そして満面の笑みを浮かべ、「うれしい、また来てくれたのね。」と言い、私の手を握って、お店の中に強引にひきいれた・・・ その誘いを、私が断るわけもなく、そのままの流れで、お店の2階に2人して駆け上がり、私としては初めて、風俗で働く、同じ女性と遊んでしまった。 2度目ということで、「興奮が薄れやしないか?」と思っていたのだが、2度目のほうが、より興奮した。 これは、私にとっては重要な発見だったのかもしれない。 その時、冷静に考えることができたなら、もう一度、私の理想の Sex だった、南米系女性と遊び始めることができるきっかけにもなり得たわけなのだから・・・ しかし、もうその時には、私はメーオの魔法にかかっていたらしく、目の前のタイ人女性しか見えなくなっていた。 南米系女性のように、ムっとくるような、暑苦しいほどに、こぼれ出るフェロモンもなにもない、このスリムなタイ人女性が、とても気になり始めていた・・・ 帰り際、メーオが私の名前を聞いてきた。 私は、メーオが気になっているにも関わらず、心のどこかで警戒心が働き、その時は、私のニックネームを教えた。 「私は、カツといいます。」と答えると、メーオは、「カス サンネ。」と、つたない日本語で言った。 後でわかったことなのだが、タイ人は、日本語の 「つ」は、すべて、「す」という発音になるらしかった。 それ以来、私は、メーオやメーオの友達から、「カス」 と呼ばれ続けることになる・・・ その当時は、「黄金町にはまった男には、分相応のニックネームだ。」と、よくひとりごちたものだった・・・ |
2007-07-12 Thu 10:08
初めてのタイ人女性との Sex 以来、「私はタイ人女性との遊びもいいもんだ。」と思うようになってきた。
それは、Sex だけではなく、タイ人女性の気質にも惹かれてしまったからだ。 月並みな表現だが、あの笑顔を見ると、仕事の疲れも吹き飛んでしまう気がしていた。 しかし、あくまでも、それらは遊び。 必要以上のめり込まないようにしていたのだが、その考えを覆される女性に出会うことになる・・・ その日は見たことも無いタイ人女性が、たくさんいた。 恐らく、タイからまとめて送られてきたのだろう。 その時は、どのような過程をへて彼女達が日本に送られてきているのか全くわからなかった。 後に、その内容を知って愕然とするのだが、その話はいずれしたいと思う・・・ その新しい女性の中に、タイ人には珍しく、鼻筋の通った顔立ちの女性がいた。 その女性は、仕事に慣れていないのか、お客を誘うどころか、部屋の中でタイの雑誌を読んでいた。 彼女がかわいいのは一目見て分かるのだが、そのやる気のなさそうな接客態度から、お客は明らかに彼女を避けていた。 私も彼女の接客態度に少々不安を覚えたが、「虎穴にいらずんば虎児を得ず」である。 勇気を持って、彼女の扉を叩いた・・・ 意外にも、彼女はタイ人女性特有の、満面の笑みで私を迎え入れてくれた。 しかも彼女は、英語を流暢に話せたので、しばらく彼女と会話を楽しんだ。 彼女は、1週間前に日本に付いたばかりで、ほとんど日本語がしゃべれないらしい。 今日初めて黄金町で働いているのだが、日本語がしゃべれない彼女を、ほとんどのお客さんが敬遠するらしく、途方にくれていたとの事だった。 運よく私が英語をしゃべれたので、ちょっとストレス発散をしたようだった・・・ ひとしきり私に愚痴を話すと、彼女は、私がお客だと思い出したらしく、慌てて私を部屋まで連れて行った(笑 彼女との Sex は、普通だったと思う。 しかし、なぜか彼女のイメージは、私の脳裏にしっかりと焼きついてしまった。 あの時の気持ちは、どんな言葉でも説明することができないだろう・・・ いつもは、私は、彼女達の名前なんて聞かない。 なぜなら、ほとんどが、1回きりの遊びだからだ。 しかし、その時は、なぜか彼女の名前を知りたくなった・・・ 彼女に名前を尋ねると、「メーオ」と教えてくれた。 もちろん、本名ではなくニックネームなのだが、タイ語で「猫」という意味らしかった・・・ |
2007-07-11 Wed 00:25
初めて足を踏み入れた昼間の黄金町は、殺伐とした感じがした・・・
夜は、ピンクのネオンが点灯して妖しさを演出しているが、昼間は普通の路地裏だった。 こんな普通の昼の路地裏でも、男と女があんな事やこんな事をしていると思うと、不思議な気分になった・・・ 昼間の黄金町は、情報どおり、アジア人女性が多かった。 女性のレベルは、夜と違い、1ランクダウンしたような感じだった。 しかし、中には、ビックリするような綺麗な女性もいた。 一通り黄金町を散策して、私は、とある東南アジア女性のお店の前で足を止めた。 肌は浅黒く、上向きの低めの鼻を持つ女性だった。 日本人の美的感覚から言えば、あまり綺麗じゃない部類に入ると思うのだが、その女性の笑顔に、とても魅力を感じてしまった。 そこで、意を決して、その女性と交渉に臨む事にしたのである・・・ 東南アジアの女性と遊ぶのは、初めてだったので、多少ビビりながら交渉に臨んだのだが、料金・時間とも、ほぼ夜と同じだったので、私は即決で彼女にあがった。 しかし、彼女のサービスは、他の黄金町の女性と異なっていた・・・ 黄金町は、金額が安い代わりに、サービスは必要最低限に限られている。 「脱いで、立たせて、入れて、抜く」 大雑把に言えば、これだけである。 しかし彼女は、一緒に横になり恋人的なムードを作ろうとするのである。 そして、まるで恋人達の Sex のような感じで、事を進めていくのである・・・ 長い間、そういうシチュエーションから遠ざかっていた私は、いつも以上に興奮してしまった。 ただやりたいという望みで、この黄金町までたどり着いたのに、まったく人間とは自分勝手なものである・・・ いつも以上に興奮した私は、時間がたくさん残っているにもかかわらず果ててしまった。 早く果ててしまった私は、はずかしい気持ちになり、早くその店を出ようと思い、そそくさと洋服を着ようとしたのだが、彼女は、その行為をやめさせ、裸のままで抱きあって、時間いっぱいイチャイチャしてくれたのだ。 黄金町では、普通、果てれば、即さよならなのだが、彼女は違ったのである・・・ 彼女とは、それ一回きりだったので、名前も聞かなかったのだが、彼女の事は今でも覚えている・・・ 去り際に、彼女の国籍を聞くと、「タイカラキマシタ。」と、つたない日本語だったが、最高の微笑みも一緒に返してくれた・・・ もちろんそれは、営業スマイルなのは理解していたし、今まで遊んできた南米系女性も、屈託のない笑顔を見せてくれていたのだが、なぜか彼女の笑顔には心癒されるものがあった。 そのような事があり、私の心の中には、強烈に、「タイ」という言葉が刻み込まれてしまった・・・ |
2007-07-10 Tue 10:43
黄金町に初めて行った時、その光景に、ただただ驚いた。
オランダのアムステルダムの飾り窓のような光景が、京急の黄金町から日ノ出町近くまでのガード下に続いているのである。 そして、その人一人が入れるくらいの飾り窓に、セクシーな洋服を着た外人女性が、「私と遊ばないか?」と誘ってくるのだ・・・ 私が黄金町に行った時は、中国人・韓国人が多かったが、東欧系・南米系・東南アジア系の女性もけっこう見かけた。 それらの女性なら誰でも、20~30分、1万円で遊べてしまうのである。 そこは、私にとっては、西川口以上の天国だった・・・ 黄金町で水を得た魚のように遊んでいた私だが、私には1点だけポリシーがあった。 それは、「東欧系・南米系の女性としか遊ばない。」というポリシーだ。 西川口の外人専門の店で、中国人からいやな経験をして以来、アジアの女性には一切興味がなくなってしまったからだ。 黄金町には、中国人も多数いたが、南米系の女性もそこそこいたので、こころゆくまで楽しむことができた。 しかし、それも最初の2ヶ月ぐらいまでであった・・・ 2ヶ月も経つと、黄金町の南米系の女性のほとんどと遊んでしまい、なかなか新しい女性が見つからなくなってしまったのだ。 東欧系の女性などとも遊んだが、南米系の女性ほどの興奮は得られなかった・・・ そうなると、残るはアジア系の女性しかいなくなるのだが、中国・韓国系だけは絶対にイヤだった。 そこで、東南アジア系の女性と、私は考えたのだが、夜の黄金町には、あまり東南アジア系の女性は多く無かった。 正確に言えば、いることはいたが、黄金町の中でも妖しい店舗(黄金町という街に、妖しくない店なんか、一店舗も無いのが実情なのだが)で働いている東南アジア女性が多かったので、ちょっと敬遠してしまったのだ・・・ そこでどうしたものかと考えていたところ、黄金町では、東南アジア系の女性は昼に多いと聞いた。 黄金町は、夕方の6時ぐらいに、同じ店舗でも、昼の部、夜の部で女性が変わるという営業方式をとっていた。 私は、仕事の関係もあるので、夜の黄金町しか見たことはなかった。 噂では、昼の黄金町は、メインの通りのほとんどが、東南アジアの女性に変わるらしかった。 そこで、会社の有給もたまっていたことだし、ちょっと探検気分で、平日の昼に初めて黄金町に足を踏み入れたのだった・・・ |
2007-07-09 Mon 11:58
今回は、黄金町という街について簡単に説明しておこうと思う・・・
京浜急行、黄金町駅前の大岡川沿いは、旧赤線地帯として知られている。 赤線地帯とは政府公認の売春を目的とする、特殊飲食店街の別称である。 これは、警察の地図に、赤い線で囲っていたことから、このように呼ばれるようになったらしい・・・ しかし、正確に言えば、私が足を運ぶようになった黄金町は、赤線地帯ではなく、青線地帯というそうだ。 「赤線」とは売春が公認された地域のことで、それとは逆に非公認で売春が行われていた地域は「青線」と呼ぶらしい。 1956年の売春防止法の施行によって、赤線地帯は廃止されたが、黄金町一帯ではつい最近まで違法に営業が続けられていたからだそうだ・・・ しかし、その黄金町も、2005年の春、2009年の開港150周年に向けて一掃するため、ついに警察による手入れが行われ、すべての店舗は閉鎖され、同時にそこで働いていた女性たちもいなくなってしまった・・・ 私が足を運んだ黄金町は、末期の黄金町で、一大観光地を彷彿させるものだった。 私のように、女性と遊びに来る物もいれば、ただ物めづらしさに足を運ぶものもいた。 インターネットには、そこで働いている女性の情報が、あることないこと飛び交うような状態だった。 そんな状態を考えれば、黄金町が警察の手入れを受けて無くなるということは、当り前の事のように思える・・・ 現在、この辺りは昼夜を問わず警察の厳重な監視下に置かれている。 京急線の高架下に監視所まで設置するほどの徹底ぶりで、路上に配置されている警察官の数も少なくない・・・ 閉まったままの飲食店が多いが、いくつかは、正常な飲食店として経営している。 しかし、警察の執拗なチェックにより、レンタルルームに商売替えをしている業者も多く見られる・・・ このような黄金町だが、最近は、地元・警察・行政が一体となって、行政が賃借した店舗を、文化芸術の振興拠点として整備し、街の活性化を図っている。 Webで、「黄金町プロジェクト」なるものを検索してみると、その活動の一端を見ることができる・・・ |
2007-07-08 Sun 14:48
その後も、私のソープランド通いは続いた・・・
初めのうちは、女性との心と体のふれあいが楽しかったのだが、いつの間にか、体のふれあいだけを求めるようになってしまった。 会話もそこそこに、とにかく気持ちよい Sex が出来ればよいと考えるようになってしまった・・・ そうなってくると、川崎のソープランドの1回 3~4万円の料金は高いもののように思えてきた。 もっと、女性のレベルも高くなくていいので、「安く Sex がしたい!」と思い始めたのである。 そこで、インターネットで色々調べると、西川口という場所に、1万円前後で、Sex が出来るという情報を見つけた。 あまりの金額の安さに、半信半疑だったが、「一度ぐらいならだまされてもいいや!」と思い、西川口に行ったのだった・・・ 初めて行った西川口は、風俗のメッカだった。 いたるところに風俗店が立ち並び、そのほとんどが、ピンサロの形を取りながら、最後まで出来る本サロの店だった。 私は、あらかじめリサーチしておいた、お店に入った。 写真を見せてもらうと、十分満足できるレベルの女性ばかりである。 しかも料金は、40分、1万2千円。 ただただ抜きたいだけの私にとっては、最高のソリューションだった。 いろんな女性と、簡単に Sex ができてしまう西川口は、まさに私の性地となった(笑 そして、その西川口で、私の風俗の方向性を決めるお店に出会うことになる・・・ 私がその後ハマってしまった風俗とは、外人専門店であった。 外人の Sex は、私が求める理想の Sex そのものだった。 しばらくは、その外人専門店に通い詰めたが、なんせ在籍数が少ない。 私は、同じ人と何度も Sex をしたいとは思わなかったので、より外人が在籍しているお店が無いか、インターネットで調べた。 すると、横浜の黄金町という場所があることが分かった。 川崎から近い場所に、そのような場所があることに驚いた私は、直ぐにその黄金町に行ったのだった・・・ |
2007-07-07 Sat 09:49
私は、その当時、川崎の平間に住んでいたので、まず最初は、川崎のソープランドに遊びに行った。
ソープランドなんて、妻と結婚してから一度も行ってなかった・・・ 久しぶりに行ったソープランドであたった娘は、若く明るく、そして Sex の相性もよく最高の時間を過ごすことが出来た。 「このインポ野郎!」と言われて、少々自信をなくしていたが、「そんなことは無い!」と確信が持てた私は、妻に対するあて付けもあったと思うが、その後、もう1件、ソープランドをはしごしてしまった(笑 久しぶりに抱いた女性は、とてもいいものだった。 大げさだが、自分が生きていると言うことを、心底感じさせてくれた。 自分は、Sex は、結婚を続けていく上でそんなに大事なものではないと思っていたが、それは間違いだったと確信した。 結婚を続けていくには、やはり、Sex は重要なファクターなのだ・・・ しかし、それが望めない私はどうすればよいのか? 方法は幾つかある。 「我慢する」 「離婚する」 「浮気する」 「風俗に行く」 私は、その中で、一番安易な、「風俗に行く」を選んだのだった・・・ まだその当時は、妻と、いろんな気持のすれ違いはあったが、「離婚や浮気などで、妻を悲しませたくない。」という気持ちが残っていた。 そうなると、リスクを最小限にして、今の家庭を壊さずに続けていくには、「風俗」と思ったのである。 私も、風俗で働いている女性に、「恋愛感情を抱くほどバカじゃない!」という自信もあった・・・ しかし、その後、その気持ちもあっさり崩れてしまう・・・ |
2007-07-06 Fri 02:13
バリ島の事件後、妻は私に謝罪してきた。
私も、彼女の気持ちを理解していたので、そのことを責める気持ちは毛頭なかった。 しかし、あの時の妻の言葉を、そう簡単に忘れることもできなかった・・・ 彼女に、「彼方はいつも自分の欲求をどうやって処理しているの?」と、まるで私が浮気をしているかのように言われたが、私は全てを、自分で処理をしていた。 30歳を超えた健康な男、しかも結婚をしているのに、自分で処理をするなんて惨めなことまでして、浮気をしないようにがんばっていたのに、彼女はいとも簡単に浮気と結びつけてしまった・・・ また、「このインポ野郎!」という言葉には、正直、心底落胆した。 確かに彼女から、インポといわれてもしょうがないが、私は彼女の身体的な異常については、一度も口にしたことはなかった。 男性から女性へ発せられた言葉に関しては異常なほど敏感なのに、その逆には注意を払わない。 最近は、このような日本人女性が本当に多いと思う・・・ 結局のところ、彼女は自分の事しか考えていなかったのだろう。 なら、「私も自分の事だけを考えよう!」と気持ちを切り替えた・・・ そして、気持ちを切り替えてからは、私が風俗にのめり込むまで時間はかからなかった・・・ |
2007-07-05 Thu 22:20
セックスレスになってから、お互い、そのことには触れないが、今まで以上に仲良くしようと努力していたと思う。
2人の時間を作るように努力し、Sex までは行かないまでも、スキンシップも積極的に行うようにしていた。 なので、最初の頃は、2人出逢った頃と同じぐらい、ラブラブな状態になっていたと思う・・・ そんなこともあって、その年の夏休みは、2人でバリ島に旅行に行くことにした。 妻はアジアのリゾートが大好きなので、2人でバリ島でリラックスすることにしていた。 この旅行は本当に楽しく、2人大満足だった。 しかし、バリ島の最終日に問題が起こってしまった・・・ いきなり妻が、「今なら Sex できるかも?」と言い出したのである。 私も、「ひょっとしたら?」と思いがんばってみた。 しかし、結果は、散々たるものだった・・・ 妻も濡れないし、私も立たないと、ないない尽くしになってしまったのである。 私は、「そんなにあせらなくてもいいよ。」「時間を掛けてゆっくりいこう。」と、お互い前向きに行こうという気持ちで、妻に語りかけたのですが、次の瞬間、妻は私の耳を疑うようなことを言い放ったのだ・・・ 「私が濡れないのは、彼方が無理やりにでも私を求めようとしないからよ!」 「彼方はいつも自分の欲求をどうやって処理しているの?」 「外で浮気してるんでしょう!」 「こうなったのも、全部彼方が悪いのよ!」 「このインポ野郎!」 何かが、私の中で音を立てて崩れていった瞬間だった・・・ |
2007-07-04 Wed 21:29
メーオと出会う前、私は、普通の日本人と、普通の恋愛をし、これまた普通の結婚した。
周りから見れば何も問題が無い夫婦に私たちは見えていたと思う。 実際のところ、家庭では何も問題は無かったと思う。 家に帰れば、お互い会話をしたし、休みの日は、いっしょの時間を過ごしていた。 しかし、どうしてもお互いがうまくいかないものが一つだけあった。 それは、夜の営みだった・・・ 妻は生まれつき、性器の位置が普通の人とはちょっとズレていて、挿入するのが非常に困難だった。 私は結婚前に、もちろんそのことを知っていたが、Sex が出来ないわけではなかったので、そんなに問題視はしていなかった。 しかし、妻はそうでは無く、自分の身体的な事をかなりコンプレックスに思っていたようで、Sexのときには、ガチガチに緊張して、私を受け入れる前段階にもならない事が多々あった・・・ 離婚時に聞かされる話なのだが、彼女は以前に、この身体的な理由で、男性からフラれることがたびたびあったらしい。 私と結婚する前に、1度、婚約破棄をされた話は聞いていたが、その時も、「Sexが出来ない人とは、結婚生活を続けていくのは難しい。」と言われたそうだ・・・ 私はその緊張をほぐそうと色々と努力した。 ムードを作り、場合によってはお酒の力を使い・最終手段としては、市販されているSex用の潤滑油を購入するなど、ありとあらゆる事を試してみた。 もちろん成功する時もあったが、成功しない時のほうが多く、ほとほと困り果てた・・・ そんな私を見て、彼女はますます自分を責めた。 失敗すると、「私が悪いから。」「私の体が異常なのがいけないの。」と、泣きじゃくるようになってしまった。 すると、今度は私がそれにストレスを受けるようになってしまい、彼女といざSexをしようとしても、全く反応しない体になってしまった。 そして、その反応を見ると、また彼女が泣きじゃくるという最悪のスパイラルに陥ってしまった。 そんなこともあって、私たち夫婦の間では、「Sex」の話はタブーになっていったのであった・・・ それが、私たちが結婚して、2年目ぐらいのことだった。 そこから私たち夫婦は、完全なセックスレスへと突入していくことになる・・・ 今思えば、この頃に妻と将来についてきちんと話しておくべきだったと思うが、Sexなど無くても大丈夫だと思い、結婚生活を続けてしまった。 しかし、元来性欲が強い私は、無理やり押さえ込んだ性欲が表に出てくるようになり、これがきっかけで、風俗にのめり込むようになった・・・ |
2007-07-03 Tue 23:09
私とメーオは、2003年6月 から 2005年4月 の約1年10ヶ月の間、時間を共有してました・・・
私は家庭がうまく行ってないこともあり、この黄金町という風俗街に、どっぷりとつかってしまいます そこでメーオと出会い、売春・人身売買・麻薬・殺人などの裏の世界を垣間見ることになります・・・ |
| 黄金町の天使 |
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